(なあ、エアリス──)

(今の俺は、俺自身でいいのか?)

 クラウドは、胸に花を抱きながら、ゆっくり歩を進めた。
 泉の水の冷たさも、クラウドには感じなかった。
 ただ、この薄青紫色の花が温かい──クラウドは、静かに泉の中央に沈んでいった。

 

 

For Get me NOT 
act4─君を想う、故に我在り2〜Cloud Side〜

 

 

 何て心地良いのだろう──クラウドは、泉の水に包まれ、そう思った。

(……母さん?)

 クラウドの脳裏に、愛する母の面影が過り、クラウドは一筋だけ、涙をこぼして眼を静かに閉じた。
 幼い日々、喧嘩をして、毎日傷を拵えてきても、何も聞かずに、手当てしてくれた事、泥だらけになって帰宅しても、「しょうがないねぇ」と、綺麗に洗濯された着替えを用意してくれた事。ティファの事件の際も、母はクラウドを責めず、ひたすらティファの父親に頭を下げていた。
 ソルジャーになる、そう言った時の母の表情は、今でも忘れられない。そしてあの事件──結局、あれが母との最後の遣り取りとなってしまった。

(……ごめん、母さん、俺、ソルジャーになれなかったんだ)

 クラウドは、何度も母への謝罪の言葉を、脳内で繰り返すと同時に、深い自己嫌悪の闇に包まれていった。
 自分という存在が、如何に忌まわしく、周囲にとって、害を成してきたか、そればかりが思い返される。自分を責めても、「罪」は消えることなく、続いていくものだと、クラウドも解っていた。しかし、クラウドの自我は、自己否定によって、辛うじて保たれている状態だった。
 ザックス、エアリス。その他にも、命を落としていった者達の顔が、クラウドの中に、次々と浮かんでは消えゆく。誰しも、クラウドに対して、責める者がいなかった。クラウドは、それが辛くて堪らなかった。誰でもいい、ひとりでも罵声を浴びせて欲しいと、クラウドは強く願った。
 それも叶わない今、己への呪咀を、自らに刻みながら、心の均衡を取る。下手に触れれば、崩れ堕ちてしまいそうな、そんなアンバランスな精神状態の中で、クラウドは苦しみを背負う事でしか、生きていく術を見出だせなかった。
 死んでいった者達の笑顔に支配されたまま、クラウドの意識は、深い闇の中に堕ちていった。
 どれくらい時間が経ったのだろうか。意識を取り戻したクラウドは、殺風景な薄暗い場所に、横たわっていた。温度も空気の流れすら感じない、無機質な空間、ここには色という概念も存在していないようで、クラウドの眼から入ってくる情報全てが、モノトーンに処理されていった。
「……ここは……何処なんだ?」
 クラウドは、冷静に呟き、気怠そうに立ち上がると、辺りを見渡した。
 何もない。
 強いて言うなれば、クラウドの周囲を取り巻く空気だけが、ぼんやり光っている。
 クラウドは、取り敢えず前方に歩を進めた。
 しかし、歩めど景色は変わらず、時折苦悶の表情を浮かべた、人型の影のようなものが、浮かび上がった刹那消えていくだけだった。徐々に、クラウドは、息苦しくなり、呼吸が荒くなっていった。クラウドを包む薄らとした光も、心なしか弱くなっている。いや、光だけでない。クラウドのいる空間そのものが、濁りを帯びたように、暗く淀んでいるのだ。
 クラウドは、言い知れぬ恐怖を感じ、その場から逃げ出そうと、走りだした。
 そんなクラウドを嘲笑うかのように、不気味な空気は、一層暗度を増すばかりで、クラウドから光を奪い続けた。
 クラウドの視界が、漆黒に染まった一瞬、空気もろとも空間が歪み、足許から何かに飲み込まれそうになった、その時だった。


 クラウド!


 微かだが、はっきりと自らを呼ぶ声が、クラウドの耳に届く。
 声のした方に、クラウドは咄嗟に眼をやる。
 そこには、まばゆい光の中から、差し出された白い手があった。
 クラウドは、その手を力強く握った。
 手からは、確実な温もりが伝わり、クラウドの全身をそっと包み込む。
 クラウドは、暖かさに身を委ねると、ゆるやかに光の中に吸い込まれていった。

 

 クラウドは、瞼越しに突き抜ける、幻想的な光に気付いた。
 先程までの恐怖感は消え失せ、代わりに穏やかな安らぎが、淀んだ意識を洗い流すように、心を満たしていく。
 規則正しく、クラウドの額や頬を撫でる温もりの感覚──クラウドは懐かしさを覚え、それを掴んだ。
 フフフ、と洩れる優しい笑い声。
「エアリス……」
 クラウドは、愛しいその名前を呼ぶと、ゆっくり眼を開いた。真正面には、穏やかに微笑みを湛える、エアリスの顔があった。
 思わず、クラウドはその白い頬に手をやる。
 エアリスは、はにかむように、自分の頬に触れたクラウドの手を、自らの両手で包み込んだ。
 クラウドは、そんなエアリスを見つめ、眼を細めた。抱き締めたい、強い感情がクラウドの全身を奔る。
 起き上がろうと、空いている手を下に着いた時だった。自分でもその存在を忘れていた、薄青紫色の花が何本も握られている。
 クラウドは身を起こすと、無言のまま、エアリスに花を差し出した。
 エアリスは一瞬だけ眼を丸くし、満面の笑みを広げながら、その花束を受け取った。
「ありがとう、クラウド──」
 語尾がやや湿り気を帯び、震えた。エアリスの澄んだ瞳には、涙が今にも溢れ出しそうな程、膨れ上がっていた。
 クラウドは、エアリスの目頭に唇を寄せ、そっと涙を吸い取ると、そのままエアリスを抱き寄せた。
 心地良い温もり、柔らかく滑るような肌、クラウドが求め続けていたのは、この感触だった。あの夜、腕の中でたおやかに揺れた、白く華奢な躰を、クラウドは忘れられなかった。
 エアリスは両腕を、クラウドの逞しい背中に回す。そして、猫のように、クラウドの胸元に、顔を埋めて、頬擦りした。
 長い時間、2人はそのまま抱き合っていた。
 そして、クラウドがエアリスの顎を持ち上げる。
 暫し見つめ合うと、2人はどちらともなく、自然と唇を寄せた。
 触れては離れ、離れては触れる、互いの唇と吐息は、次第に熱を帯び、抱き締める腕に力が込めらる。それを合図に、口付けは全てを求めるかの如く、貪り合うよう深くなっていった。
 離れたくない、離したくない──クラウドは切に願いながら、エアリスの肌を優しく撫で上げる。
 エアリスは、クラウドの愛撫に、か細い声で呼応する。
「愛している」
 強い感情が、2人の間で交わされた。
「ねえ、クラウド」
 抱き合ったまま、エアリスはクラウドを見つめ、呟いた。
「本当のクラウド、わたし、見つけた」
 エアリスは、満足気に微笑んでいた。クラウドは、何も言わず、ただエアリスを抱擁する腕に、力を込めた。エアリスは言葉を続ける。
「小さい時のクラウド、出会った時のクラウド、星を救ったクラウド。……それと、今、わたしといるクラウド」
 クラウドは、黙ったまま、リボンが解けてしまった、エアリスの髪を梳いていた。
「解ったの、全てが、本当のクラウド──」
 クラウドは、そこでエアリスを遮るよう、自らの唇でエアリスのそれを塞いだ。クラウドにも、エアリスに告げたい言葉があった。唇を離し、優しい眼差しをエアリスに向けると、クラウドは言った。
「エアリス、俺は、アンタが見守ってくれていた事を知っていた」
 重度の魔晄中毒に陥った時、ライフストリームの中に漂うクラウドとティファを、導いてくれた事、セフィロスとの一騎打ちの後、手を差し伸べてくれた事、そしてホーリー発動後、ライフストリームが現れ──。
 淡々と語る、クラウドから発せられる台詞に、エアリスは徐々に涙目になっていく。
「俺は見たんだ。……いつもエアリスは祈っていた」
 エアリスの大きな瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「祈って──微笑んでいた」
 クラウドは、次々と溢れ出すエアリスの涙を、指先で丁寧に拭い取っていく。
「──ありがとう、エアリス」
 エアリスは、堪え切れずに、小さく嗚咽を洩らした。ライフストリームに辿り着いてから、自分なりに闘ってきた事を、クラウドが見ていてくれた、それが泣けてしまうくらい、嬉しかった。ありがとうと伝えたくても、しゃっくりで掻き消されてしまう。エアリスは、クラウドにしがみ付き、泣きじゃくった。そんなエアリスの頭を、クラウドはずっと撫で続けていた。
 暫くして、少し落ち着いたのか、エアリスは静かに話し始めた。
「あのね、色々な人に会ったの、ライフストリームの中で。アバランチの人達、ダインさん、あと……ザックスに。心配してた、クラウド達の事。わたし独りじゃ、救えなかった、この星を……」
 言って、少し間を開け、エアリスは告げた。
「皆、最後ね、笑ってた」
 そうか、とクラウドは頷いた。
エアリスは、クラウドの胸に顔を埋めたまま、プレジデント神羅と宝条の結末を語る。
「負の感情を抱えたままの人──憎しみとか、不安とか、エゴみたいな──きっと堕ちていくのよ、星の闇に。……危なかった、さっきのクラウド」
 思い出しながら、エアリスは微かに震えた。
 確かに、あの時のクラウドは、沢山の後悔や自己嫌悪ばかりで、心が荒みきっていた。クラウドは肩を竦め、溜息を吐いた。
「俺はエアリスに助けられてばかりだな」
 きっと情けない奴だと、エアリスにも呆れられているかもしれない、クラウドは自嘲した。
 だが、エアリスは顔をあげ、真摯な眼でクラウドを見据える。
「大丈夫だよ、クラウドは」
 そうきっぱり宣言して、エアリスは、クラウドが持って来た花を、傍に落ちていたリボンで束ねた。その内1本だけ抜き取ると、リボンごとクラウドに渡そうと差し出す。
 クラウドは、よく理解出来ないまま、呆気に取られていた。
「知ってる、この花の名前?」
 と、クラウドの様子も気にせず、エアリスは花束を掲げた。
「勿忘草」
「ワスレ……ナ……グサ?」
 クラウドは、おうむ返しに呟いた。
「わたしを忘れないで。それとね──真実の愛」
 エアリスは、1語ずつ丁寧に言葉を紡ぎ、続ける。
「花言葉、この花の、ね。花には意味があるの、全ての花に」
「……花言葉?」
 クラウドは、花に意味を持つ事など、全く知らなかった。たまたま眼についた、路傍に咲いていた花。朝露に濡れ、綺麗に光りながら、咲いていた花。名前すら知らないが、何となく惹き付けられて、手にした花。
「いるでしょ、渡さなきゃいけない相手、他にも沢山」
 きょとんとしたままのクラウドに、微笑みながらエアリスは、「はい」と花束を握らせた。
 クラウドは、緩やかに花束へと、視線を移した。エアリスが束ねて、渡されたのは、「8本の勿忘草」。

 わたしを忘れないで
 真実の愛

(ああ、そうか──)
 クラウドは、漸くエアリスの言葉の意味を理解し、静かに瞳を閉じた。この花ではならなかったのも、摘んだ数も、必然的な事だったのだろう。
 クラウドの瞳から、無意識に涙が溢れていた。
「いるでしょ、クラウドには、大切な仲間」
 エアリスは細い腕で、そっとクラウドを抱擁し、背中を撫でた。
「……そうだな」
「駄目よ、伝えないと、ちゃんとね」
「……そうだな」
「仲間だから、特別な存在じゃないの、クラウドは。クラウドだから、特別な存在なんだよ」
「……そうだな」
エアリスは、クラウドの唇に口付けた。
「心配しているよ、皆──ね、帰ろ?」
「……そう、だな……」
 エアリスの言葉に頷くと、クラウドの意識が薄らぎ、そのまま途切れた。
「クラウド、ありがとう。わたし、見守っているから。──愛しているから」
 子守唄のように囁きながら、エアリスの魂は、クラウドの躰を抱き締め、泉の深淵から抜け出した。


──忘れないから、クラウドの事──


エアリスは、憂いを帯びた笑みを浮かべ、仲間のいる世界へ還るクラウドを 姿が見えなくなるまで見送った。

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